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大賞 ヘナの女神が降臨するころ

「ヘナのある風景」エッセイコンテストで沢山のご応募をいただき、その中から栄えある大賞に選ばれたのが、Yukari様の「ヘナの女神が降臨するころ」です。
おしゃれもせずにひたむきにがんばっている染色家のお母さまと、それを心配する娘さんとの交流が描かれています。

大賞作品「ヘナの女神が降臨するころ」

藍染めイメージ

「絹と同じように、髪も藍で綺麗に染められたらいいのに」

 大きな藍甕に湛(たた)えた染液に絹を浸しながら、壁掛けの鏡に映された頭巾(ずきん)から覗く白髪を見て、母は憂鬱そうに溜息を吐いたーー
 母は植物染めの染織家だ。森を歩き廻り採集した植物を用い、富士山の麓の工房で絹布を染めている。母が最も愛した彩(いろ)は、日本の代名詞とも謳われる藍だった。
「古(いにしえ)の日本は藍に溢れていたの。青緑(せいろく)の屋根瓦、軒先に掛かる濃紺の暖簾(のれん)、濃(こき)縹(はなだ)の着物を纏って街を歩く人々。甕覗(かめのぞき)、薄藍(うすあい)、浅葱(あさぎ)色、千(ち)草(ぐさ)色(いろ)、留(とめ)紺(こん)。多彩な藍で街は活気づいていた。明治時代に来日したイギリスの科学教師・アトキンソンは、家屋から衣類に至るまで藍色に染まった日本を見て、『ジャパンブルー!』って感動したし、小泉八雲も、『神秘の青に満ちた国」って絶賛したんだから」
 幼い頃から、事あるごとに母は私に言い聞かせた。

藍は生き物。見る角度や光が当たる角度で、藍甕の中の水色は変化する。黒みが強い紫。陰影を帯びた緑。茶褐色に近い赤。藍は多彩な色相を見せる。その多面的な魅力は、まさに母そのものだった。染織の技術だけでなく、野花のように素朴な明るい母の性格にリピーター客は着実に増えていった。
大自然に囲まれた工房で暮らす母は、実年齢よりも十歳は若く見られた。森林浴で焼けた健康的な小麦色の肌に、黒々とした豊かな髪。染織は力仕事なので体力もつく。
天職に打ち込む姿は活き活きと輝いていた。自慢の母だった。だから、物心ついた頃から父がいなくとも、周囲に同情されるほど淋しくはなかった。
明るく逞しいシングルマザーに健全に育てて貰った私は、お陰で念願を叶えて高校教師になり、良縁にも恵まれ、あたたかな家庭を持つことができた。現在は、母の工房から車で小一時間ほどの、雄大な富士山が望める街で夫と暮らしている。 

秋も深まったある週末のこと。久しぶりに工房を訪ねると、藍甕に絹を浸している母の顔を見て驚いた。
「ママ、化粧してないの?店にはお客さんも来るんだし、せめて口紅ぐらいしたら?」
工房の隣には、母の作品が並ぶ小さなショップが併設されている。
――ノーメイクなんて、ママらしくもない。色味のない薄い顔は、一気に老けて見え、娘としては哀しい気分になった。

「髪の色がこれじゃ、いくら顔に色を乗せたって無意味よ。植物染めに人生を捧げた者は、自然に従って生きなさいってことなのかもね。鏡を見るたびに落ち込むし、お客さんの目もあるから、これでカモフラージュよ」
 母は自嘲的に藍染め頭巾(ずきん)を巻いた頭を指した。
――頭巾(それ)って、白髪隠しだったのか……

 

髪も藍で染められたらいいのに

藍染めイメージ2

「絹と同じように、髪も藍で綺麗に染められたらいいのに」
加齢のせいなのか、ポジティブな母らしくもない弱気な台詞にキリリっと胸が軋んだ。
母も、もう六十五歳なのだ。私と一緒にいると年の離れた姉に間違われるほど若々しかった美貌も、還暦を過ぎた頃から小皺や白髪が目立つようになった。だが、超敏感肌でケミカルアレルギーの母は白髪染めが出来なかった。化学染料入りの製品を頭皮や肌に使うと、炎症を起こし、火膨れのように真っ赤になったり、発疹が出たりする。ゆえに、母はシャンプーや化粧品なども全てオーガニックの自然派のものを愛用していた。
どうやら、母が植物染めを始めたきっかけはそこにあったらしい。

ーー素材は良いのに、勿体ないなぁ……
大きな瞳。高い鼻筋。目鼻だちの整った母の素顔を見て、藍染め頭巾で隠された白髪が無性に恨めしく、悔しく感じてならなかった。
 女は何歳になっても女。女は生涯現役なのだ。都会で暮らそうが、山奥で暮らそうが、美や若さへの関心や執着には変わりはない。
況(ま)してや、二十歳の頃には『ミス茶娘』にも選ばれ、「綺麗ね、若いね」と言われ続けてきた母なら、猶(なお)更(さら)のことだろう。
「もうちょっとでひと段落するから待ってて。ハーブティーを淹れてあげるから」
藍甕から絹を引き上げる奇跡の一瞬を計る、一発勝負の真剣な眼差しを眺めながら、痛感せずにはいられなかった。目尻に刻まれた皺や頭巾からはみ出た白髪に、ろくに親孝行もせずに遣り過ごしてしまった歳月の重みを。
サーっと、母は藍甕から絹を引き上げると、地下百メートルから汲み上げた清冷な深層水で余分な染料を洗い流した。洗い終えると、絹をパーっと宙で翻し、工房内の干し竿に掛けた。色は、若い青葱を思わせる花(はな)萌葱(もえぎ)色。

「ママ、それ、どう見ても緑色にしか見えないんだけど、そんな色でいいの?」
「前にも教えたでしょ?藍はゆっくり時間をかけ、酸化させると綺麗に発色するの。空気に触れなきゃ、藍の女神は降臨して来ないわ」
――そう言われば、そんな話を聞いたことがあるような気も……
母と違い、植物染めに全く興味を持たなかった私の記憶など、所詮その程度だ。
暫くすると、確かに緑の絹は光沢を放つ藍に変色した。硝子(ガラス)越しに陽光を浴びた藍は胸に染みるほど美しく、深淵な色を放っていた。化学染料では到底創り出せない霊妙な風趣。自然からいただく彩(いろ)は、神々しいほど気高かった。
「植物染(ぞめ)の中でも藍は最も難しいの。だからこそ、唯一無二の完璧な青が創り出せた時、感動もひとしおなのよ」
匠の矜持を光らせた誇らしい顔で、矯(た)めつ眇(すが)めつ、徐々に変色してゆく絹布を眺める母。
 どんな布だって、母の手にかかれば美しく染まる。なのに、自分の髪だけは染めることができないなんて、何という皮肉なのか。
 ――何とかして、ママの髪を若返らせたい。 
 久しぶりに母に会い、母の頭上に古(ふ)り積もった年月を感じた私は、強烈にそう思った。

 

ヘナの粉イメージ

 仕事や雑事で多忙を極めたうえに、倦怠感や吐き気等の体調不良も続き、結局、それが届いてから母の工房に訪れるのに一か月も要してしまった。

日曜日の朝、工房を訪れ、それを母に渡すと、母は驚愕も露わに歓喜した。
「そうかっ!ヘナならハーブだし、確かにこれで髪を染めたらカブれないかも!」
私は得意満面にほくそ笑む。
「今月、ママの誕生日でしょ?だから、誕生日プレゼントってことで。一緒に、シャンプーとヘアーリペアオイルも買っといたからね」 
 前回、母に会った後、化学染料不使用のヘアーカラーをネットで検索していたら…… 
見つけてしまった。この、植物成分100%の『ヘナ』を。化学染料も合成成分も農薬も一切使っていない自然派ヘアーカラー。
 ヘナの染料なら、超敏感肌でアレルギー体質の母の頭皮や髪にも合う筈だと確信した私は、すぐさま購入した。選んだのは、初回なので、ベーシックなグリーンノートヘナ。色は、白髪が三割程度の母にお勧めのライトブラウン。

 

まさか、本当に藍で髪が染められるなんて…

「あれっ?」ヘナのパッケージを食い入るように見ていた母は、はしゃいだ声を上げた。
「原材料にナンバンアイ葉が入ってる!インディゴって、木藍(もくらん)だっけ?すごい、まさか、本当に藍で髪が染められるなんて…」
植物に関しては博識な母は目を輝かせて喜んだ。だが、その直後、
「でも、ヘナなんて国内じゃ、なかなか手に入らないし、まずはこれで絹を染めてみたいかも」
冗談とも思えぬ真顔で呟く母の手から、私は慌ててヘナを取り上げた。
「ダメダメ!これはママの髪を染めるためにわざわざ取り寄せたんだからね!さあ、染めるの手伝うから、ママは早く準備して!」

 

 普段、母が布を染めている場所で、私が母の髪を染めるという行為に没頭するのは何だか愉快だった。
粉に湯を混ぜ、緑色のペースト状になるとハケで母の髪に塗り込んでいった。こんな緑の泥状から本当に綺麗なライトブラウンの髪が生まれるのかと、全く怪しまないのは、やはり藍染めの変色を見たからだ。それよりも、田舎の牧草地のような独特の匂いは堪(こた)える。
「結構、匂いがきついね。ママ、平気?」
「平気よ。だって、毎日嗅いでいる慣れ親しんだ草木の匂いだもん」
 ――さすが、植物染め職人。
 
 「うん、生え際の額も赤くなってないし、炎症も起こしてなさそう。ママ、ピリピリする?」
染髪を終えて確認すると、母は首を横に振った。
「全然!やっぱり、自然の草木は人間の体に優しいのね。遥々、海を渡ってインドの野山から来てくれたヘナちゃんに感謝よ!」
 しみじみ感動する母の反応にほっと安堵すると、母の頭をラップで包み、更にタオルで巻いてからシャワーキャップを被らせた。
「一時間半はこのまま放置だって。ケミカル製品とは違って、時間がかかるね」
慣れない作業だったので、慎重に丁寧にやったら予想以上に手間取ってしまった。なのに、更に一時間半とは中々の長丁場だ。

自然の営みはゆっくりなのよ

インディゴイメージ 「生き急ぐ人間たちとは違って、悠久を生きる自然の営みはゆっくりなのよ。それに、藍染めと同じ。空気に触れなきゃ綺麗に発色しないの。さあ、ヘナの女神様が降臨してくるまで、お茶でも飲んでのんびり待ちましょう」
 母らしい言葉で茶目っ気たっぷりに笑うと、工房の奥にあるキッチンに引っ込んだ。
 ーーヘナの女神様、どうかママのためにご機嫌麗しく降臨してください。
祈りながら待っていると、母は二客のティーカップを載せたお盆を持って現れた。
「髪を染めてくれたお礼に、特製の藍ハーブティーを淹れたよ」
「えっ?藍にハーブティーなんてあるの?」
 目をまん丸くさせて驚くと、
「意外でしょ~?」と母は鼻高々に笑う。
「ユカ、仕事が忙しいんでしょ?すごく疲れた、ブサイクな顔してるよ?藍はポリフェノールが豊富で解毒作用もあるから、体に溜まった悪い物も排出してくれる。古来、藍色は『勝(かつ)色(いろ)』とも呼ばれたの。これを飲んでリフレッシュしたら、また勝ちに行きなさい」
 毒舌に潜ませた薄水(うすみず)色の淡い母の愛を感じながら藍ハーブティーを口に含んだ。草木の清爽感と甘酸っぱさが広がる。野性的な植物の力強い生命力が体に注がれ、一口飲むごとに心が豊かな藍色に染まってゆく気がした。
「…ねえ、ママ、また息切れしそうになったら、藍ハーブティー飲みに来てもいい?」
思わず弱音を吐くと母はイタズラげに笑った。
「また、ヘナで髪を染めてくれるならね」 

 『髪、すごくいい感じに落ち着いたの。ランチにカレー作るから見に来てよ』
 母の髪を染めてから一週間経った週末の朝。目覚めると、母からメッセージが届いていたので再訪した。

ヘナの女神様、降臨してきてくれたんだね

ヘナの色イメージ 「いいじゃん!ヘナの女神様、いい感じに降臨してきてくれたんだね。すごくいい色だよ」
 確かに母の髪は、染めた直後よりも変化していた。髪色は仄かに黄みがかった、品のある明るいロイヤルミルクティー色。私と同じで、膨らみがちなクセ毛もしっとりとまとまり、ハーブ効果なのか艶々している。触ってみると、カラー後のダメージが出るどころか、逆にハリが出て、サラサラと髪質も良くなっていた。
 やっぱり、ヘナを勧めて正解!…いや、効果はそれだけじゃない。
「ママ、メイクしたんだ?なんか、すっごく若返った!やっぱ、こっちの方が断然いいよ!」
「髪が綺麗に染まったらウキウキしちゃって、また化粧をしたくなっちゃったの」
 ローズカラーの紅を乗せた唇を綻ばせ、一段高い声調(トーン)で笑う母。薄桃色のチークを差した頬が幸せそうに緩む。たった一週間で、見た目も表情も一気に若返った母を見てびっくり仰天。こんなに華やかに笑う母を久々に見て、私は温かい気持ちで満たされた。
――でも、あれ?よく見てみると……
「ちょっと、メッシュ状になってない?」
「それもオツでしょ?人間の思い通りの色に均一に染まらないのも、草木染めの魅力よ。どんな色に染まるかは、草木の神々の気まぐれ任せってことで。染まってからのお楽しみよ」
 ……さすがママ。森から森へ、草木を求めて流離(さすら)う風来坊らしいお言葉だ。でも、やっと母らしい前向きな言葉が返ってきたことが嬉しい。臨機応変が苦手で、ネガティブ思考な私とは違い、同じ血が流れているとは思えないほどポジティブな母の言葉には、これまでにもはっと感心させられる事が多かったから。

『藍で染めた布や紙は肌に優しいのに、とても強いの。今まで私の人生の綻びは、富士(ふるさと)の森の強靭な藍の糸が縫い合わせて、染め直し続けてくれたのよ』
いつだったか、染め上がった藍染めの絹を目を細めて眺めながら母はそう言っていた。

でも、これからは母の髪の綻びは、インドに生えるヘナたちが綺麗に染め変えてくれるのだ。
 生まれ変わった明るい髪で幸せそうに微笑む母を見て、ヘナと巡り合うことができて良かったと、心の底からこの出逢いに感謝した。
ご機嫌な母のお喋りに耳を傾けながら、昔から変わらない母手製のカレーに舌鼓を打つ。
――う~ん、やっぱ、どんな名店カレーもこの味には勝てないな。
最近、体調が悪くて食欲がなかったけれど、これなら完食できそう。何のアレンジもないごくごく普通のカレーだが、私にとっては唯一無二の世界最強のカレーなのだ。じゃが芋も人参も玉葱も全て、母が育てた無農薬野菜。口の中に入れるものも、体の表面に塗るものも、やっぱりオーガニックは体に優しい。そして、心にも。

藍染めの布
「ママ、来年の誕生日は本場のヘナ畑を見に連れてってあげようか?十月はヘナの収穫月みたいだし。インドでヘナの染織をやってみたら?で、本場のカレーも食べようよ」
 本場だって、ママのカレーには勝てないだろうけどね。
…って言ったら、絶対調子に乗るから言わないけどね。
「いいね!本場のヘナで絹を染めて、本場のカレーを食べられたら、もう最高に幸せよね~。よーし、いつまでも若々しく、長生きしないと!楽しみにしてるからね、親孝行娘!」
 新たな息吹が吹き込まれた髪は綺麗なライトブラウンに染まり、驚くほど若返った母は少女のように瞳を活き活きと輝かせた。
「任せてよ!」調子よく答えた後、はっと気づいた。
……来年の今頃って、私、行けるのかな?
 実は一昨日、判明したばかり。まだ母にも言っていない。
最近、体調が悪かったのは、仕事の忙しさだけが原因ではなかった。年齢的に諦めていたのだが、まさか……
――私も長生きして、いつかこの髪にも母のように白いものが混じり始めたら……
そっと、お腹に手を当てる。
その時は、この子がヘナで私の髪を綺麗な色に染め変えてくれるかな?
 不意に窓から強い風が吹き込んだ。カレーの匂いと秋の草木の匂いが混ざり、不思議な香りがした。まるでインドに吹く風のように。
上機嫌でお喋りを続ける母の肩越しに、秋晴れの澄み切った青空の下、見渡す限りどこまでも続く青々とみずみずしく生い茂る美しいヘナ畑が透けて視(み)えた。

 

※写真はイメージです。

 

エッセイの選評

(グリーンノートからのコメント)

Yukari様のエッセイは、表現力の完成度が群を抜いており、藍染めの知識はもとより、自然の力で染める不思議さや、ヘナの魅力がお母様との関係の中でよく表現をされています。選考担当者の誰もが高く評価させて頂きました。
また、新しい命が宿っているというサプライズもあり、最後までワクワクしながら拝読させていただきました。

 

(yukari様からいただいたコメント)
大変光栄に存じます。母もとても喜んでおりました。私の作品が公開されることを知った母は、「母をインドに連れてくって約束、全国ネットで公開されるなら、もう反故にはできないよね?」と迫ってきました…母は強しです(笑)母の日のプレゼントも「ヘナの毛染めセットがいい!」とリクエストされたので、購入させていただきました。
若返って綺麗になった活き活きとした母を見るのは、娘としても幸せです。改めて、女性に希望を与えてくれた素敵な商品を生み出してくださった御社の皆さまに感謝いたします。

グリーンノートヘナ


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